奨学金奨学金長男は専門学校の1年生だ。2月末日が授業料の納期だ。 毎月、奨学金の貸付を受けているので、それをソックリ授業料用の口座に蓄えてある。 それに50,000円ほどを加えて、払い込める予定。 奨学金の貸付を受けることが出来て本当によかった。 専門学校の授業料って本当に高い。 4年制の大学と同じくらいに高い。 もちろん、特別に授業料が高いといわれる私立の名門大学ではなくて、中堅クラスの大学のことだ。 どの大学を中堅と言うかは、ハッキリしないけれど。 長男は高校を終えるに当り、なにか特別にしたいことが思い当たらなかった。 けれど、取り敢えず大学に進学すると言うほど勉強に興味はなかった。 私もそうだが、彼は忍耐力に欠ける。 あまり興味がないことを取り敢えずこなすということに苦痛を感じる。 それは他の人達も同じなのだが、皆さんはキチンとこなしておられる。 私も長男もどうしてもしなければならない状況ではするだろうけれど、できるなら避けたかった。 特別に得意科目があったわけではないし、経済学にも法学にも興味を持てそうになかった。 彼には抽象的過ぎた。私にも経済学や法学がよくわからなかった。 なにか実学がよいのではないかということで、見学に行った学校の中から自動車の整備の専門学校を選んだ。 長男は、高校3年生の夏休みに普通自動車免許を取得していたので興味を惹かれたのかもしれない。 けれど、我が家には自動車がない。 パパと暮らしていた時もパパは自動車を持っていなかった。 私は自動車免許すら持っていない。 長男は自動車教習所で初めて自動車のハンドルを持ったのだ。 スムーズに試験に合格できたのが不思議だ。 自動車教習所の授業料はその年の3月に私が手術をして保険金が下りていたのでそれをそのまま長男に渡した。 これを、“体を張って稼いだお金“というのだろうか。 専門学校に入学願書を出す前に奨学金の貸付をもらえるかどうかを何度も確かめた。 「もらえる」と回答をもらった。 奨学金の貸付がなければとても進学できないからだ。 奨学金の貸付を必ずしてもらえるからと説得して私の実家から入学金と前期分の授業料をかりた。無利子だから有難い。 入学の前に払わなければならなかったからだ。 入学後、奨学金の書類を学務課にもらいに行って長男は血の気が引いたのではないかと思う。 なんと、事務員が「毎年、奨学金貸付を学校から財団に推薦するのは一人か二人で、一人も推薦しないときもある。推薦しても、選ぶのはあちらの仕事で、学校は一切関知しない。」と言ったというのだ。 長男はそれをその日の深夜にようやく私に伝えた。 長男は私に言えなくて半日を過ごしたのだろう。 私は息を飲み込んだ。「わかった。」とだけ言うのが精一杯だった。 あくる日にあっちこっちの機関に電話を駆け回り、別の奨学金を見つけた。 書類を用意する期日が目前に迫っていた。 なかなか味わうことが出来ないほどのスリルだった。 承認の裁可を貰った時には、職員の前でへたり込みそうだった。 その後、長男の学校からの推薦を戴くことが出来て、本来当てにしていた奨学金の貸付もして戴いた。 高校も奨学金の貸付をしてもらって通ったので、長男は社会人になってから、3つの奨学金を返済しなくてはならない。 それでも、高校卒業者の就職が難しい今の時代に何の技術も持たずに社会に出るのは得策ではないと考えたからそういう選択をした。 パパと暮らした家をでる時に、子供たちの学資保険を、私に渡してくれるように頼んだのだが、聞き入れてもらえなかった。 パパに解約してしまったのかと問いただすと、「解約はしていない」と答えたが保険証券を見せてはもらえなかった。 手切れ金と考えて、諦めることにした。 だから、長男の負担を軽くしてやることが出来なかった。 その後、長男はどこかで知恵を仕入れたらしく、「お母さんへの慰謝料はともかく、僕たち子供の養育費は親としての責務のはずだ。」と言っていたが、「パパにそう言ってみる?」と切り返すと、「いいえ、結構でございます。」と笑った。 元夫は、私が家にいない時に、「早く出て行け!俺はお前達が出て行ったらこのマンションを売って田舎に帰る。」と長男に言っていたそうだ。 もちろん、次男もその場にいたはずだ。 次男は父親の言葉の意味を正確にはわかっていなかっただろう。 長男は次男の盾になっていたのだろう。 長男は、私と二人で今の住居を見に来たときに初めてそう言った。 ほかの部屋から、夕食のオカズの匂いが漏れる時刻。 二人の息は白かった。 私が怒りに震えて駆け出そうとした時、長男が必死に首を振って私を押しとどめた。 長男の目の中に唇を噛む私がいた。 私の腕を掴む長男の手に力が入る。 子どもは、自分の痛みに置き換えても、両親の争う場面を見たくないのだ。 15歳の彼が守りたかったものは、弟と母親だけではない。 父親をも守りたかったのだ。 彼の父親はそれを永久に理解することはないだろう。 奨学金の貸付を受けるだけでもかなりドラマチックなやり取りがあった。 長男の学校の事務員さんや財団の職員さんは、この親子に奨学金の貸付がないと自分の目覚めが悪いと思ったに違いない。 泣き落としたわけではないが、窮状を訴える文面を書類の備考欄にメンメンと書き込んだのだ。 ドアは叩くために在る。 ひょっとして、開くときもあるのだから。 2005年01月26日(水曜日)の日記より |